2014年12月21日日曜日

真冬の豪雨でしたが


  世の中いろいろあるものです。昨日(12月20日)の阿波人形浄瑠璃芝居定期公演では、思いがけない真冬の豪雨のため、予定していた団体様の観劇がキャンセルになってしまいました。


  とても残念に思っておりましたが、豪雨の中ご来場くださったお客様と、とてもフレンドリーな時間を過ごすことができました。人数も少なかったので、即興の操り体験会と、記念撮影会を開催したのです。

  お客様も、人形一座の役者(人形遣い)たちも、大はしゃぎの定期公演会でした。

(主任学芸員 松下師一)


2014年12月12日金曜日

新しい昇開式の加賀須野橋

   
  今年の夏、加賀須野橋(開閉橋)の新橋(昇開橋)が完成しましたが、実は私、一度も開いたシーンを見たことがありませんでした。
  
  ところが、12月8日の月曜日(資料館は休館で休みの日です)、私用で通行したところ、「開いている!!」のです。初めての体験でした。

  
  上流側から貨物船が加賀須野橋に近づいてます。

  
  吊り上げられた道路の下を、貨物船が通過します(上の写真をよく見てください。車の前に貨物船の操舵室が写っています)。この間、自動車はひたすら待ちます。

  
  船が通過後、道路部分がエレベーターのように降りてきました。

  
  お~お、ほとんど降りましたね。やがて車の通行が再開できます。なお、使用されなくなった跳ね上げ式開閉橋は、現状、解体されずに新橋の下流側に残っています。今後解体されれば、当館(松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館)常設展示室の模型が、往時の姿を留めることになるでしょう。

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  さて、巡り合わせとは不思議なもので、半年間、開閉の場面に全く出合わなかったのに、その日の夕方4時にも、開閉の場面に巡り会いました。1日に2回とは、びっくりです。

(主任学芸員 松下師一)





2014年12月6日土曜日

四国地域史連絡協議会へ向けて

  
 昨日(12月5日)の夜、徳島市内某所で徳島地方史研究会の臨時評議員会が開催されました。私は同会の代表職務代理者(要するに副代表)なので、仕事を終えた後、急いで出発です。

 会議の主題は、来週土曜日(12月13日)に、第7回四国地域史連絡協議会大会(第37回徳島地方史研究会公開研究大会も兼ねる)を開催するため、その打ち合わせです。

 昨夜の徳島県内は雪の舞う真冬の寒さで、しかも12月の金曜日の夜だったため、国道11号・55号は大渋滞でした。ふだんマイカーで30分で距離が、なんと1時間30分もかかってしまいました。私の到着を待ってくださった役員の皆様、たいへんご迷惑をおかけしました。なお、評議員会終了後の帰路は、スイスイ走って25分で帰り着きました。

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 それでは歴史愛好家の皆様にお知らせします。12月13日(土)は、徳島駅西口バス停前・四国大学交流プラザにぜひご参集ください。「産業からみる地域の歴史」をテーマに、四国4県から研究報告があります。くわしくは、下記のチラシと、徳島地方史研究会のホームページをご参照ください。

    
(主任学芸員 松下師一)

  

2014年12月3日水曜日

「社会経済史学会」中国四国部会で報告

  
  11月29日(土)・30日(日)の両日、徳島市のシビックセンターで「社会経済史学会」の中国四国部会が開催されました。


  29日(土)は各個別報告、30日(日)はテーマ報告・シンポジウムがありました。私は主催者からの依頼により、30日の午前中、「上村源之丞座の近代史」について報告しました。人形浄瑠璃一座の経営について、南あわじ市に寄託されている引田家資料を基に、ごく簡単ですがあらましを紹介したわけです。


  報告時間は30分で、質疑の時間も5分ほどだったので、既発表論考(※)以上の成果はなかったのですが、まあ役割は果たせたと考えています。
  
※既発表論考とは、拙稿「人形浄瑠璃芝居一座の経営 -上村源之丞座の近代史へのアプローチ-」(徳島地方史研究会創立40周年記念論集『生業から見る地域社会』教育出版センター、2011年)のこと。

(主任学芸員 松下師一)
  

 

2014年12月2日火曜日

「歴史文化基本構想研修会」参加記 〔4〕

  
  昼食会場は、本郷地区の浅間温泉にある日本料理店です。この店は、江戸時代に藩主の別荘(専用の温泉浴場)であった建物を利用しており、まさに「殿様の湯」の気品と風格がある純日本建築です。


  玄関横には、この地の由緒を記した解説板があり、署名を見れば全史料協(全国歴史資料保存利用機関連絡協議会)でお馴染みの小松芳郎さんのお名前が記されていました。


  さあ、美味しい信州蕎麦をいただいたので、演習の再開です。まるで著名なアニメ作品に出てきそうな木造3階建て温泉旅館の横を通り、温泉街のメインストリートへと進みます。


  温泉街の中心に、昭和浪漫を感じさせる商店がありました。まさに市民レベル(庶民)の文化遺産ですね。


  温泉街から、その昔、廃線になった電車の駅跡へ向かいます。広場がきれいに整備されており、「松明(たいまつ)まつり」に使われる大松明が屋外展示されていました。


  屋外演習が終了すると、再び「あがたの森」へタクシーで移動します。旧制松本高校の講堂で、グループ討議・まとめ・プレゼンテーションです。文化庁の調査官が用意したプランを参考に、簡略な「歴史文化基本構想」を作成します。私たちのG班は、不肖私が司会進行して報告内容を取りまとめ、鹿児島県のO氏がパワーポイントに仕上げ、愛知県のS氏が壇上で発表しました。まあ、短時間で急いで仕上げたので粗雑な内容ですが、及第点はいただけたと思っています。ただ、現地調査で同行していただいた野本会長から、人材への言及がなかったことを指摘された時には、自分が議論の方向性をミスリードしたと思いました(反省)。


  とにかく内容盛りだくさんの研修で、2日目(11月28日〔金〕)の終了時刻は17時45分でした(もちろん外は真っ暗です)。

  私は翌日午後に予定があったため、それから急いで帰路につきましたが、松本からその日のうちに徳島まで帰り着くことは不可能で、途中大阪で1泊して、翌日11時すぎに「とくとくターミナル」に戻ってきました。は~、タフでした。〔おしまい〕

(主任学芸員 松下師一)

「歴史文化基本構想研修会」参加記 〔3〕

  
 28日(金)の研修では、最初1時間余り松本市の都市計画や歴史文化基本構想に関する講義を聴いた後、小グループに分かれての演習(ワークショップ)になりました。

 私はG班に入り、タクシーに分乗して松本市郊外の本郷地区へ移動しました。


 本郷地区では、本郷歴史研究会の野本会長さんと同公民館長さんのご案内の元、地域の史跡をめぐるフィールドワークの開始です。


 最初の見学地は、松本城主・水野家の墓所です。松本城下を望む丘陵地に配置されていました。私はどうしても蜂須賀家と比較してしまうので申し訳ないのですが、蜂須賀家に比べると小ぶりながら、大名家として風格ある墓所になっていました。


 続いて、浅間(あさま)温泉地区にある神宮寺を訪問しました。古く浅間(あさま)神社の別当寺であった名刹です。


 そして御射神社春宮へ移動。この神社が、古くは「浅間神社」と呼ばれたそうです。ただ、野本会長さんがおっしゃるには、当地の浅間神社は静岡・山梨に遺る浅間(せんげん)神社とは別系統の神社とのこと。


 静岡・山梨の浅間(せんげん)神社は富士山信仰だが、この地の浅間(あさま)神社は諏訪信仰とのこと。野本会長さんは、「あさま」のルーツを追い求めているそうです。


 御射神社春宮の次は、山林の中にひっそりと遺る小笠原家の墓所を見学しました。小笠原氏は、近世初期に松本城主であった大名家ですが、すぐに転封になり、こんな小さな墓所しか遺されていません。あまりの小ささに驚いてしまいました。


 小笠原家の墓所を過ぎると、林や竹藪を通り抜け、温泉街を目指します。本郷地区はとても広いのですが、今回の演習では浅間温泉地区の丘陵地に絞って急ぎ踏破しました。


 温泉街へ出ると、ようやく昼食です。〔続く〕
 
(主任学芸員 松下師一)



 

2014年12月1日月曜日

「歴史文化基本構想研修会」参加記 〔2〕

    
  11月27日(木)は夕方6時まで研修があり、その後も会場を松本駅前のホテルに移して懇親会が開かれました。全国の文化財行政の担当者や都市計画の関係者と歓談し、実務上の苦労話や「武勇伝」(ちょっとした自慢話)をうかがい、得るもの考えさせられるものが多くありました。

  参加者の多くは、その後も歓談に出かけたようですが、私は体調がすぐれないこともあり、宿泊先のホテルで静養しました(ちょっと残念だったかな)。

  翌朝はホテルを少し早く出て、松本市街を歩いて会場に向かうこととしました。


  松本の市街地は、江戸時代、国宝松本城を中心に南北に広がっていたそうですが、近代になり国鉄松本駅と旧制松本高校を結ぶ東西の通りが形成され、今に至るそうです。


  JR松本駅前を東へ曲がり、大通りを直進します。突き当たりが研修会場です。(下の写真は後ろを振り返って撮影したので、突き当たりは松本駅です。)


  途中、松本山雅FCのラッピングバスと遭遇しました。来季、松本は昇格してJ1です。我が徳島のヴォルティスは、来季J2へ降格です。松本の市街地は、あちらこちらに松本山雅を応援するメッセージが掲げられ、J1昇格の喜びにあふれていました。確か去年の今ごろは、徳島もこんな雰囲気だったような気がします。とほほ。 


  徒歩約30分、研修会場に到着です。昨日は路線バスに乗ったため、北側の通用口から入りましたが、今日は西側の正門から入ります。「松本高等学校跡地」という歴史を紹介する銘板の横に、研修会の看板も掲げられていますね。


  研修会場である講堂の南側には、旧制高校の本館が「あがたの森図書館」として利用されています。美しい洋風の木造建築ですね。戦前、この街が「学都」と呼ばれていたことも、納得できます。


  さあ、2日目は朝から夕方まで、びっしり研修です。気合いを入れていきましょう。〔続く〕

(主任学芸員 松下師一)

「歴史文化基本構想研修会」参加記 〔1〕

  
  11月27日(木)・28日(金)の両日、長野県松本市で開催された「歴史文化基本構想研修会」に参加しました。とても充実した研修会だったので、その内容を簡単にレポートします。


  我が松茂町から松本市までの移動は、「とくとくターミナル」(高速バス停留所「松茂」)からバスに乗車し、大阪でJRに乗り換えます。新大阪から名古屋までは、新幹線「のぞみ」ですね。


  名古屋駅に到着すると、すぐさま中央線の「特急しなの」へ乗り継ぎです。「松茂~大阪」が約2時間半、「新大阪~名古屋」が約50分、「名古屋~松本」が約2時間、乗り換え時間を含めて約6時間の行程です。上の写真は、松本駅のホームに降り立ち、長野へ向かって出発した「特急しなの」の後ろ姿です。


  松本駅から市内循環バスに乗り約15分、ようやく松本市の研修会場に到着しました。研修会場は旧制松本高校学校(現・信州大学)の講堂だった建物で、現在は松本市が所有し、「あがたの森文化会館」講堂として市民に利用されています。貴重な近代建築ということで、国の重要文化財にも指定されています。重要文化財の中で、文化庁の研修を受講するという、粋な計らいです。


  11月27日(木)午後1時、全国から参集した60余名の受講生前で文化庁の幹部があいさつし、研修が開始されました。市町村に「歴史文化基本構想」の策定を促す歴史的経緯や、先進市町村の事例が説明され、聴き入ってしまいました。特に、兵庫県篠山市の先進事例には「なるほど」と思う点が多く、今後の貴重な参考資料を得ることができたと思います。

  さて、重要文化財である講堂には、ひとつ問題がありました。十分な数のトイレがないのです。そこで、隣接する建物のトイレも利用することになりますが、そこは「旧制高校記念館」というミュージアムでした。


  トイレのついでに1階の展示をのぞいてみると、旧制松本高校だけを対象にしたミュージアムではなく、全国の旧制高校を対象にしています。私は静岡大学の卒業生なので、その前身である旧制静岡高校も展示されているかなと見学すると、ありました。小説家・吉行淳之介の展示とともに、母校・旧制静岡高校が紹介されています。「そうだ、吉行淳之介は大先輩だった。」と再確認しつつ、講堂に帰って研修を継続しました。〔続く〕

(主任学芸員 松下師一)
  

2014年8月23日土曜日

町指定無形民俗文化財「二上り音頭と回り踊り」

  
  毎年8月23日は、松茂町中喜来の呑海寺を会場に、「二十三夜」(主催:中喜来協議会)の祭礼が開催されます。せっかく視察に行ったのですが、うっかりカメラを忘れてしまい、手持ちのスマホで撮影してみました。


  境内中央に設けられた櫓の周囲を、踊り手が輪になって「回り踊り」をします。「阿波おどり」に代表される“行進踊り”のイメージが強い徳島県では、「回り踊り」はマイナーな印象です。


  櫓の上では、町指定無形民俗文化財「二上り音頭」が実演されます。太棹三味線を伴奏に、“音頭出し”が浄瑠璃くずし音頭を吟じます。近年、踊りやすいようにという考えから、拍子木を打つようになりましたが、本来は三味線と声(浄瑠璃くずし音頭)だけで踊っていました。


  櫓の中央、黒いTシャツの人物は、三味線に取り組む少年です。伝統芸能に取り組む若者がいること、とてもうれしいですね。


  一昨年から、吉野川市美郷の「廻り踊り」と交流しています。薄い青の法被が中喜来二上り音頭保存会、濃紺の法被が美郷廻り踊り保存会の面々です。


  美郷の保存会から、山岳信仰で行われている法螺貝の実演披露がありました。


  地元、喜来小学校の児童も参加して、踊りの輪は延べ1時間あまり(途中、数度の休憩あり)続けられました。


(主任学芸員 松下師一)

  

写真展 小笠原諸島 ― 世界自然遺産と鎮魂 ―

  
  今年度(平成26年度)、当館では、防衛省の「特定防衛施設周辺整備調整交付金」の交付を受け、地域の人材を活かした文化事業の充実を図っています。その一環として、8月5日(火)から、特別企画「写真展 小笠原諸島 ― 世界自然遺産と鎮魂 ―」を開催中です。
  ここでは、その様子を紹介します。


  今回の特別企画は、『松茂町誌』続編第3巻の編集に際し、徳島空港発着の航空機写真を提供くださった田中雅己氏とのご縁により、開催することになりました。田中氏は元・海上自衛官で、航空機写真の愛好家としてして知られていますが、現職当時に赴任した「小笠原諸島」の貴重な写真をお持ちでした。


  展示内容は大きく3部に分かれています。

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  第1部は、日本の最東端・南鳥島(みなみとりしま)です。面積1.5㎢しかない絶海の孤島ですが、海上自衛隊と気象庁の職員が常駐しています。この島を守ることにより、日本の排他的経済水域は43万㎢も広がります。


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  第2部は、小笠原諸島の中心地・父島母島です。平成23年(2011年)に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界自然遺産に登録され、その美しく、貴重な自然は世界中から注目されています。


  展示スペースの都合上、母島の展示は、ちょっと離れた場所にあります。


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  第3部は、第二次世界大戦の激戦地・硫黄島(いおうとう)です。日米両軍あわせて3万人近い戦没者があり、数多くの戦跡(せんせき)が残ります。


  硫黄島の写真は数が多いため、前編・中編・後編に分かれています。
  まずは前編「名勝と戦跡」の紹介で、昭和20年(1945年)2月~3月の激戦(硫黄島の戦い)の戦跡が続きます。


  展示ボードの角を曲がると、戦没者等の顕彰碑を紹介したコーナーです。中には、摺鉢山の山頂碑を訪れた小泉元総理の写真もあります。


  そして、奇岩や特徴的な風景など、島の名勝を紹介するコーナーです。島名の由来になった“硫黄”に関わる名勝が多いですね。


  がらりと雰囲気が変わって中編です。「遺骨収集と鎮魂」をテーマにしています。
  戦後70年近くたった今も、毎年遺骨収集が行われており、荼毘(だひ)に付された遺骨は、東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨されています。


  後編は、海上自衛隊を中心とする「在島業務」と、貴重な「自然」を紹介します。


  展示の最後は、北硫黄島と南硫黄島の紹介です。


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  この展示は、9月7日(日)まで開催します。観覧無料、ぜひご覧ください。

  なお、この展示は好評につき、若干の会期延長を検討中です(8月23日現在)。延長が正式に決まりましたら、ホームページ等でお知らせします。

(主任学芸員 松下師一)